クロスモーダル読書法
- Kosaku Toyoshima
- 2018年10月20日
- 読了時間: 6分
更新日:2019年11月8日

今回の投稿、毎度前フリ長いため冒頭に記しますが、
「やっぱり思考を拡張するには、ドゥルーズの原著とかにあたるべきだけど、まあ読めないよね」
という方向けに、時空を超えた読書を行う方法、について考察してみました。いつになく風呂敷広げてます。
それでは前フリどうぞ↓
ここ最近、CEATECでの出展に奔走しておりましたが、本日無事終了しました。ご来場いただいた方ありがとうございました。
自分がディレクションしたブースの内容はさておき、今年のCEATECは、ついに来たよ5Gって印象です。詳細なレビューは他に譲るとして、5Gになるとテレプレゼンスやら、8Kやらでいよいよ以て、VRでクロスモーダル現象に苛まれる日々がくるかと思うと今からワクワクです。
と、CEATECでの各社ブースの展示を見ながら5Gを肌で感じつつも、
「うーん、これからは感覚がそのまま伝送される時代が来るんだろうけれど、言語が相互理解の基本プロトコルであることはたぶん、変わらないよなぁ、、」
と思いまして、
「このプロトコルを脳にインストールする作業の一つである『読書』は時空を超えられないもんかなぁ、、」
とインスパイアされたわけです。
はい、すごい風呂敷広げてますけど笑、しかも、VRでクロスモーダルとか言っときながら混乱させるようで申し訳ありませんが、今回の投稿の、「クロスモーダル読書法」というのは、ドリアン食いながら本読んだり、とか、するわけではないです。
(今思い付きましたが、この意味でのクロスモーダルな読書は可能性あるかもしれないです、単に記憶と五感をリンクさせる、ってよくある話かもしれませんけど、自分も大学受験のとき、モーツァルトのレクイエムをヘビロテしてたんで、今でもレクイエム聴くと当時のシーン目に浮かびますもん、まあこれは別の機会に探索してみたいと思います。)
この「クロスモーダル読書法」日本語に訳すと「時空を超越する読書法」なんですが、まあ時代性と地域性は相互作用するので、「クロスモーダル」の認知科学的な元来の意味(本来別々とされる知覚が互いに影響を及ぼし合う)からすると、「別々の要素(地域性・時代性)の相互作用を構造化し、読めるハズが無いと思っていた書物が読める」と拡大解釈して笑、その方法論を模索していきたいと思います。
認知科学や心理学に詳しい方、「それ全然ちげーよ」というご指摘あれば、すみませんが頂ければと。
(自分でもまだちょっと違和感あるので、「時空を超える」というニュアンスをうまく別の言葉で表現できたら、そっちに変えます)
※まあ、要はアレです「フリースタイル・ファシリテーターたるもの、究極は、時空を超えてファシリテーションしたいよね」ということです笑。
ファシリテーションは「今ここ」の文脈を最重視しますが、思想は高く、AIの進化と5Gで、そのうちアイザック・ニュートンやマルクス・アウレリウスの幽体を交えてファシリテーションすることを想定して笑、それに向けた思考体力を付けるにはどうするか?って話です。
とか言っておきながら、いきなり風呂敷畳むようですが笑、噛み砕いて言うと、
「ドゥルーズとか、昔の思想家の考えを吸収したいけど、日本語で書かれてても読みづらいし、挫折しっぱなしでどうしたらええの、、、」
という悩みを解決するヒントになるかもしれない、、という話です。
ここまで読んで、たぶんなんのことだかさっぱり、と思いますので、まずは図で書きますと、

言語の地域性と時代性を軸にとると、こういったイメージになりますが、たとえば自身の思考を拡張させるために、「ドゥルーズの原著を読みたい!」となっても、最短距離で行くのはさすがに無理があります。

そうなると、右下の青丸に辿り着くには、2つのルートが考えられますが、

一つは、今のフランス語を学習し、それから時代を遡るルートです。このルートを仮に「ルートA」とします。

もう一つは、同時代の日本語で書かれた本、もしくは、当時の思想を現代語訳した本を読んでから、原著にあたるルートです。このルートを「ルートB」とします。
こう描くと、昔の本が現代語訳され続ける、というか、言語の時代性に合わせてモノリンガルの枠の中で再翻訳され続ける理由もわかる気がします。
ただ、ルートBはルートAに対して、「その時代に、地域を超えた伝播性があったか?」という意味においてハテナ、が付きます。
横軸は、あえて抽象化してますが、たとえば福沢諭吉が生きた時代では、地域を超えた文化的交流の密度が(その前の時代と比較すると)高かったため、同時代のオランダの書物にあたることで福沢諭吉の思想的背景を補完することはできると思いますが、空海が生きた時代に、同時代のラテンアメリカの書物を読んだとしても、地域を超えた伝播性は極めて低いため、ルートBが普遍的な手法かどうかは疑問符です。
さて、このルートBのアプローチ
「昔邦訳されたドゥルーズの本、読みにくいけど頑張って読む!」
もしくは、ルートAのアプローチ
「フランス語をまず勉強して、フランス語で現代語訳されたドゥルーズの本がんばって読む!」
いずれかで思考拡張に成功!かというとまあ、そんなシンプルな話ではないので、ここで「リテラシーのレベル」という軸を追加して3軸にします。

ここで、A点からB点へいくルートを考えるために、A、Bを頂点とするキューブに簡略化します。

ここで、A→Bへいくルートが何種類あるかというと、前述の通り最短距離で行くのは無理があるので、以下の通り、6つのルートからどれを選ぶか、という話となります。

結論から申しますと、この6ルートの中から選ぶとすれば、αもしくはβルートが妥当であり、前述の通り、地域を超えた伝播性があったか?を加味するとβが最有力、となります。
αルートは、「まず現代語訳されたドゥルーズ論を読んでリテラシーのレベルを上げ、当時の邦訳を読み、それから原著にあたる」ルートになり、
βルートは、「まず現代語訳されたドゥルーズ論を読んでリテラシーのレベルを上げ、現代語のフランス語のドゥルーズ論にあたり、それから原著にあたる」ルートになります。
たぶん、マルチリンガルでもない限り、母国語から離れてリテラシーのレベルを上げるのは相当厳しいと思うんですよ。もちろん、過去の書物で邦訳されてない書物を理解しなければならない場合もあると思いますので、その場合は何らかの手立てでリテラシーを上げざるを得ないんですが、
こうやって、地域性・時代性 のモーダリティから考えると、これまで原著にあたるのが億劫で仕方なかった、もしくは途方に暮れた、なんて方には、もしかしたらヒントになるかもしれません。
(もっと広義に言うと、未だ解読されてないインダス文字の難しさは、この地域性や時代性の断絶にあると思っています。)
まあ、神保町で古書に出会って興奮しても落ち着けって話ですね笑。せっかく買っても、それ結局インストールできずに終わるんじゃないの?って笑。(これは自戒も籠めて)
あと、さんざん「A点からB点まで、最短距離で行くのは無理」と言いましたが、無理して行くのは別に悪いことでは無いと思います。それを実行したのがかのムハンマドであり、彼、文盲でしたから、直接行く以外の選択肢がなかったんだと思います。その結果何が起こったかは周知の通りですが、それくらいやんないと真のイノベーションは起きないのかもしれませんね笑。
ではまた!
遍く人に、NUMBOUTDUB EXPERIENCEを、
豊島 考作
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