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  • 執筆者の写真Kosaku Toyoshima

あらためて専門家の意味って?



「10分で描いた絵が20万円?」と驚いたある人に対し、


「違います、30年と10分です」とピカソが切り返した話。


これ、毎度のうろ覚えなんで時間も金額も(しかもピカソかどうかすら)間違ってるかもしれませんけど笑、価値の現し方の喩え話の一つで、過去の蓄積を説得力に変えた話です。


AIで仕事が無くなる、と煽られて久しいですけど、現世のネオ・ラッダイト、PC破壊してもクラウド化されちゃって暖簾に腕押し、みたいなね笑。


「この先も食いっぱぐれない専門性って何ですか?」


とそんなもんわかりませんが、何かの「専門家」を名乗らないと食い繋げないようにも思わされる昨今、あらためて「専門家の意味」を考えたくもなるわけです。


今でこそ、プログラマとか脚光を浴びてますが、それがデファクトになった後に、単なる金欲しさでその技能を得ても、技能に習熟するころには周りもプログラマーだらけになって大して稼げない、なんてことになりかねないわけです。専門家って、他から突出してこその専門家ですので。


先日、照明技師歴35年の方と呑んでて、


「昔は(カメラの感度が低くて)兎に角照明を炊きまくって、それで明かりを稼いでたけど、カメラの性能が上がって、明るい画が取れるようになったり、後で編集できるようになったり、デジタルになると、誰でもそこそこのものが撮れるようになって、そこそこの物で良いやつは価格も安くなって」


という、テクノロジーあるあるな話かもしれませんが、フィルムの時代にテープを切り貼りするような技能も、デジタルで圧倒的に簡略化、簡便化されてもう必要無くなったり、


他にも、あるレコーディング・エンジニアの人と話をしてたら、「昔は現場張り付きで体力勝負だった仕事も、家に帰って編集できるようになった」とか、


テクノロジーの進化で不要になった技能って、ここでわざわざ言うような話でもなく、ごまんとあるわけですが。


冒頭のピカソの話のように、


「過去の蓄積が、『いま』の価値になるか、そうならないか」ってのはあると思ったわけです。


例えば、今エクセルのショートカットキーや関数にいくら詳しい知識を持っていても、じきにBIツールやRPAに置き換わって無用の長物になるのは明らかですし、そんな(世間受けの良い、はやりの)技能や知識を身に着けたとしても


「10分の仕事なら、200円でしょ」


と、相場感で価値を判断されることにもなりかねんわけです。(まあこの「相場観」ってのがクセモノで、市場原理が働きはしますが)


一方で、人類史上最古の職業と言われる娼婦とか、料理人とか、フィジカルなパフォーミング・アーティスト(音楽家とか)など、案外時間労働・肉体労働の世界でも価値自体はあまり変わっていないように見える仕事も確かにあるわけで(当然売れる娼婦、売れない料理人とか、売れっ子ミュージシャンとか色々居ますけど)、


10分で20万の仕事と、10分で200円の仕事は何が違うのか?つまり専門性が付加価値として受け入れられる条件とは何か?を考えると、


  1. 身体知化(血肉化)されているか?(実行能力面)

  2. 歴史と最先端を語れるか?(知識面)

  3. 世界(観)を創りうるか?(ハッタリ)


この3つが主な要因かなー、となんとなく思っています。


1.の身体知化されている、血肉化されている、ってのはわかりやすくて、例えば料理なんかは、レシピ本も充実して、それ通りに作れば良いのに、誰かが作る美味しい料理ってのはなくならないわけです。あと、知識自体は検索したり本を読めばわかるけど、対面のやり取りで、即応的に話が聴けるコンサルとかもしばらくは無くならないんだと思います。


2.の歴史と最先端、というのは時間軸的な話の中で、いまどこなのか教えてくれる、みたいな。ベースになるのは知識量と思います。あとAIにできなさそうなところは、過去や未来との因果関係をストーリー仕立てにするところとか、言い換えるとこじつけ能力ですかね笑。


3.の世界観ってのは、先程のエクセルを例に取ると、何のための分析か、何が見たいからこの分析をやるのか、ってのを考えながら作業するのと、単に言われたから作業してるのではどうしても差が出る、とかそういう話です。

「この世界を創りたい」とか「こういう世界が見たい」というのはある種思い込みというか、狂信性が無いとダメなので、結局は自分が興奮することが必要なんですが、例えばエクセルショートカットキーマニアが居たとして、10年後にそんな知識必要とされなくなったとしても、ひたすらそれを信じてショートカットキーの探求に身を捧げたとしたら、それは何世紀後かの、古文書を紐解くヒントになったりするかもしれないわけです笑。


あ、Alt + f + aって「別名で保存」のコードなのか、だからこのデータは別名で保存されたデータなのだ!とか30世紀の人が言ってても不思議じゃないすよ笑。そしてその価値はマニアが狂信的に身を捧げた成果によるものであって、でも30世紀にその人いないですけど笑、でもそうやって人類史って言葉を紡いできたんですよね、って話で笑。


あとは、自分が興奮するか?ってのも、身体知化する上では重要なポイントかなぁ、と思います。興奮しないと血肉化できない、ってのもありますが、自分が興奮するから、単に好きだから蒐集した知識が、100人中99人にわかってもらえなくても、1人にとっては価値が出る、とか、自分が生きているうちに世の中の評価が得られる、とも限んないわけですしね。


まあ、ここまで書いておきながら、「人は何かの専門家を名乗らない限り幸せにはなれない」とか言うつもりはないですけどね、それを強要される世の中なんて嫌ですよ笑。専門性なんかなくとも周りの人の優しさや関係性でなんとなーく食いつないでいける、そういう世の中の方が健全だとは思いますけどね。


ではまた!

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