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特定の宗教を持たない人は、自分で宗教を創り出すしかない

  • 執筆者の写真: Kosaku Toyoshima
    Kosaku Toyoshima
  • 2019年5月19日
  • 読了時間: 3分

更新日:2019年11月7日

構想のエクリチュール pt.0


暇と退屈の倫理学を読みまして、この概念は著者も述べている通り、一言で解釈できるものではないですが、その中でもパンセでパスカルが述べた


「ウサギ狩りに行く人を指して
『あいつら、ウサギ狩りという行為を欲してるのであって、ウサギそのものを欲してるわけじゃないのに気づいてないでしょww愚かでしょ』
と揶揄する人こそ愚かだ。」

という表現はまさにその通りでありまして、じゃあパスカルさん、どうすりゃ良いのよ?というとそれは「信仰心」だそうなんですよね。


あ〜信仰、そりゃその通りで、ワタクシ、慣習的に浄土真宗の冠婚葬祭の所作を辿っているだけで、音読して心に染みたのはジブランの「預言者」くらいという、特定の宗教に対する信仰心はとても薄いので、なんか良い新興宗教でも無いかと一通り調べてみても、あんまりピンと来るものがないんですよね。(こう書いたらまた熱烈な売り込みとかうけないかしら笑)


そうなると自分自身の宗教観を創り上げるしかないのですが、どうやるかというと「書く」もしくは「描く」、あるいは「語る」しかないです。


よく、資料作りやってる人をディスって「資料作りばっかやってて何も生み出せてないし、生産性低すぎでしょ」と言われることありますが、私に言わせれば、アレ、「資料を一緒に創り上げることによってその世界観を自分の中へ内包する」というプロセスなんですよね。


「マーケティング」なんて言葉も、10人いれば10通りの解釈が存在するので、どんな組織であれ、


ある概念が共有できた

やっぱなんか違う、、、

あーそういう意味だったの、それなら言ってること同じだよね!


ってのをぐるぐる回して一つの教義を作り上げてるようなモンなんですよね。


それに全く意味が無いか?って言われると、組織は言葉により駆動していくので、こういったプロセスは不可避です。言い換えると、言葉を作るプロセスでその組織の世界観が規定されるというか、まさにエクリチュールですよねこれは。


なので、自分がどの共同体に属し、そこでどういう言葉を書いていくかが自分の世界観を規定するし、その世界観の中で自分の言葉がさらに規定されていく、という自己強化ループなので、その世界観で生きる内は全く違和感ないです。さらに言うと、同じような業種であれば似たような世界観なので結構汎用的です。


ただ、パスカルいわく


「じっとしていられないのが人の不幸のはじまり」


らしいので、そういった世界観の中で生きていても違和感を感じてしまうのが人の性であり、もし他にバイブスを感じられる「宗教」がなければ、それは自分の書き言葉で、エクリチュールを持って宗教を創り出すしかないんですね。


まあ、自分で創り出せた!と思っていても、結局は誰かが似たようなことを言っているので、自己幻想と共同幻想の間をぐるぐる回ってるだけ、という笑。


宗教を作り出そうとしても、いきなり未来志向でやっても路頭に迷うだけなんで笑、何をするかというと、まずは自分の思考の系譜を辿ることですよね。自身の「構想のエクリチュール」が何に起因してるのか、そこを辿ることによってのみ、自分の信仰心に自覚的になれる、とも思っております。


ではまた!


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