文体(再)構築のエクリチュール
- Kosaku Toyoshima
- 2019年12月30日
- 読了時間: 2分
この世は、読み間違いと言い間違い、聞き間違いと書き間違いでできている。
クノーの「文体練習」の発話を通じた文体再構築を宣言してから早一ヶ月半、三島由紀夫先生曰く、人が人の手紙を重要視する理由は、
大金
名誉
性欲
感情
以外に無いのであって、しかも1〜3まではどんな悪文であっても読まれうる、ということで、自分が営業職だった5年間に書いた営業報告書の文字数累計305,868文字も、結局は読み手に「この案件は大金になりますよ」とか「これを受注できれば、あなたの名誉になりますよ」と言わんとする動機づけがあったからに過ぎない。
それはもう仕事なのだから割り切るとして、誰から依頼されたわけでも無いこのブログに書こうとする理由は何なのか。というと、自身で文体を構築しようとしない限り生きる術を持たない、とかいう大袈裟なものなどではなく、単によりしろがコンストラクティヴィズム(構築主義)なだけで、一月半書かずにいたけれど、結局書き続ける他なかった、としか言いようがない。
年の瀬も年の瀬で、この一月半、自分の身の回りに起きたことと言えば、
48歳と友人と、50歳の同僚が他界した
ひとみ(一つ下の従姉妹)の七回忌を迎えた
ギャスパー・ノエの最新作(CLIMAX)を観た
イリヤ・クヴシノフを観た
ライブを熱で欠場した
ケーデンスの勉強が楽しくなった
フリー・インプロビゼーションのセッションにまた行き始めた
映像編集・制作の仕事を始めた
色々あった。
この世は、読み間違いと言い間違い、聞き間違いと書き間違いでできている。
ならば、書いても書いても書き間違い続けるならば、書き続けて構築出来ているつもりでいて、事実を列挙したようでそれすら本当にあったのか定かでないことを書き連ね、その先に何もないとしてもさぁ、なんかさぁ、やっぱ書かないとさぁ、なんか自分の考えてることがぁ、なにかこの目で見えるかたちじゃないとぉ、友達とかとぉ、話すときにぃ、たんに自分がバッドに入ってるとかさぁ、言われちゃったらさぁ、雰囲気悪くするってゆうかぁ、やっぱ大人になったらさぁ、気をつかわせるよりもぉ、気をぉつかう側でぇ、いたいじゃん?みたいなぁ、感じで書けば良いって、思うわけぇ。
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