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しゃぼん玉 Enter the Void

  • 執筆者の写真: Kosaku Toyoshima
    Kosaku Toyoshima
  • 2019年11月4日
  • 読了時間: 4分

みんな、持ってる金は全て溶かせ、詰めた知識は泡と消せ。僥倖の伴侶に愛を灯せ。


ニュー・エコノミー・バブルは、額面通りのシャボン玉にこそありき



シャボン玉の語源って、サボン玉つまりフレンチではなくスパニッシュ or ポルチギース、え、シャボン玉屋って延宝5年から居るの?って歴史の話ではなくて、シャボン玉のコミュニティにおける求心力と、貨幣価値の意味への転換装置の可能性、ってことなんですが、


※ちなみに延宝5年って、J・L・Bachの産まれ年ね。

彼はJ・S・Bachより先に産まれていて、プレイヤーと作曲家および楽団マネージメントの才により、存命中名声に恵まれ、膨大な作品を残した、とされているにも関わらず現世に作品がほとんど残っていない、音楽史のサイド・ストーリーとしても研究の余地の残っているコンポーザーです。


佐藤和希さんのプロフはイベントページに記載がありますが、佐藤さん、これイベントページに記載があるから言っちゃって良いと思うんですが、福島のJA系統の職員なんですよ。

それで、3・11以降、「正しいサイエンティフィックな知識を身につければ分断は無くなる」という従来の「伝統的科学コミュニケーション」による枠組みだと、ちっとも分断は埋まらなくて、

それは福島県内外だけでなく、福島県の中であってもそうで、そんな中、「復興のストーリー」「食べて応援」という号令に呼応した使命感と葛藤、その矛盾を抱えた中で行き着いた「シャボン玉」という表現技法。そして現在進行系の話。

佐藤さんのテーマとして、「マイノリティとマジョリティの垣根を越える」「葛藤の可視化」というものがずっとあったらしいのですが、サイエンスカフェ、と称した場を作っても、どうしても結界が生じて開かれた場にならない、そんな折、グランドレベルの田中元子さんに出会い、建物の中から外へ、佐藤さんなりのマイパブリックを追求した末のシャボン玉、


そこで見た、「シャボン玉を割りたい子、追いかけたい大人、作りたい人」がそれぞれ即応的に作り出す即興的なドラマ、表現の受け手と作り手が曖昧になる場、そして風で移動するシャボン玉が越えていく、それまで感じていた「結界」


これを、佐藤さん秘伝?のシャボン玉レシピを使った実践とともに体感したのでありました。



単純にシャボン玉作り、楽しかったですけどね笑、音楽のように上手い/下手 が表現社と観察者の間に介在しないのも素晴らしいですよ。


そして、実際にシャボン玉を作りながら


「佐藤さんは、自腹を叩いてシャボン玉を作る道具を買い、文字通り泡銭にしている、、、これは、本当の意味でのバブル経済だ」


とか毎度ダジャレを考えていたんですが、いや待てよ、これモデル的には、お金を使い、人が集まる場にシャボン玉を媒介として意味を与え、シャボン玉はすぐに壊れる、消える、とみんなわかっているにも関わらず集まり、求心力が発生するにも関わらず最後は「無(もしくは空)」しか残らない、これはすごいことなんではないか?


と思い始め、虚心坦懐でモデルにしてみようと、んで、以下がその図です。

何がスゴいって、所有・共有の概念すら通り越し、そこにあるのはただ「無と意味」なんですよね。


これが自治体が資金出して遊具つくったり、となると、子供がその遊具に対し「所有」の概念にかられてケンカ始まるじゃないですか。まあ、シャボン玉を作る道具の「所有」に関する諍いは多少あるみたいですが、制作物の最後の姿「無」に対し、その場にいる人々に「意味」が産まれる、ってのはこれはスゴいことだと。


これはもう、これからのお金の使い方は全てこうあるべきでしょう笑、というか、私もイベント稼業が多いので、イベントが終わったらお金が溶ける上記構図のイメージはありましたが、それでも映像コンテンツとか、ワークショップの成果物、は残りますしねぇ、


佐藤さんの取り組みは、そんな邪心すら通り越して、ニュー・エコノミー時代の正しいお金の使い方を示唆されているようで、度肝を抜かれたのでありました。


ちなみに、終了後、佐藤さんから道具一式貸して頂いたこともあり、ヒマを見つけてはシャボン玉、作ってますが笑

本格的に冬、到来する前に私も公園でやってみないと、ですね。


ではまた!


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