コンテンツはアイデアの容れ物
- Kosaku Toyoshima
- 2019年6月30日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年11月7日
最近はガラにもなく「マーケティング」と名のつく仕事をやっておりますが、そこで良く、「コンテンツが課題だ」と話題になるわけでして、こう、コンテンツ、コンテンツと連呼されると、それ自体に実体があるような錯覚になっちゃいますが、コンテンツって、言葉の由来的には「容れ物」って意味合いですよね。
確かに、容れ物の見栄え、オーナメントやパッケージングって重要ではあるんですが、そのコンテンツの中に入るのはあくまで「アイデア」であって、コンテンツはそのアイデアに応じて、文書やヴィジュアル、楽曲など様々な形態をとるだけのことで、やっぱ、アイデアをどう捻りだすか、これが重要ですなぁ、、とつくづく思います。

ただ、コンテンツによって自分がフックアップされるという体験も確かにあるので、コンテンツの威力はそういう意味では侮れないんですけどね。
よく、人が人をフックアップする、という話は聞きます。
例えば「職場で干されてたら、自分を気にかけてくれてた人が別の部署に連れて行ってくれて、そこで能力を発揮した」とかですが、これはフックアップした人に見る目があった、ということですが、良い師に恵まれるとか、人が人をフックアップする、というのは古来より変わらないところです。
全ての人がフックアップしてくれる人に恵まれるか、というと残念ながらそうではないわけで、ただ現代が幸運なのはスピリチュアリズムもだいぶサイエンスの文脈で語られることも多くなり、様々なメソドロジーで、「コンテンツによって人がフックアップされる」という体験の場が増えたことですね。
LEGO® SERIOUSPLAY®メソッドや、FORTHメソッドなど、まあコンテンツとしてはレゴブロックだろうがふせんだろうが何でも良いんですけど、そういうフックアップされる場がないと人はやっぱ滞留しちゃうので、アイデアが大事、とは言いつつ、文明の利器も借りて、ということだと思います。
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