イノベーション・ハングリー・マネジメント
- Kosaku Toyoshima
- 2019年11月8日
- 読了時間: 4分
師のGijsに会いに、NEC主催のiexpoのイベントに行って来ました。
師の話を聴くのは2ヶ月ぶりで、毎度、扇情的で耽美的、その後の紺野登先生の話「イノベーション経営を実現する知識創造と組織の再構築」との密接なリンケージもあり、この先の動き方が少し見えた気分です。
それで、ここ最近趣味性の強い話題が多かったせいか、「たまにはクレバーなホワイトカラーっぽい投稿でもやんなきゃね」という勢いも相まって、今日の話を自分なりに咀嚼してみようと思ったのですが、
紺野先生の話にあった、「ISO56002: イノベーション・マネジメントシステム」策定が、単なるガイダンスからいずれリクワイアメントになる、ってところで、
「あ〜、これ、クリエイティブの練習帳の出版記念イベントの呼び込みで使えばよかったなぁ、、
ねえねえ企業さん企業さん、ISO56000って知ってます?これ、イノベーション・マネジメントってなってますけど、要は知識創造のプロセスそのものなんすよ。
ほんでね、知識創造には相応の構想力が必要ですけど、言い換えると創造的思考ができますか? その方法論はありますか?って話で、この本はその創造的思考法の具体的なトレーニングが出来るすげー良い本なんですよ。んでね、私この本の使い方考えたの。ワーク形式で。」
って言っとけば、倍は集客できたんじゃなかろうかかとw
あとはやっぱり、「組織(の心)に火を入れる」ってところで、これは話の流れとしてはGijs直伝のFORTHメソッドがピースとしてハマるんですけど、
最近「ヤマタイカ」読んだので、火の民族・縄文人の地が騒ぐというか、「日の民族じゃねぇよ、お日様ポカポカ、じゃなくて滾るマグマで火つけろよ。」みたいな笑、
それで、「お日様ほっこりあたたかい」というイマージュと、紺野先生の「イノベーションのプロセスは脆弱、大切に育てる必要がある」という話が結節して、
「イノベーションやろうとする人は、オペレーショナル・エクセレンス、つまり本業に勤しむ側から見ると遊んでいるようにも見えるから、なんらかの保護機能が必要」
ってのは完全同意で、後はその程度問題なんだよなぁ、と。
「企業内において、本業としてイノベーションせよ、と言われた人が抱える構造的な矛盾」
って話は前にもしたけど、トップの庇護下にあるのは聞こえは良くても、イノベーションに必要なハングリー精神においては逆効果にもなりうるのね。
イノベーションに対するアティテュードってのは、やっぱりカウンターカルチャー的な性質があって、一種の反骨が無いとダメなのよ。
例えば中学校で先生に
「この石で校舎じゅうのガラス割ってこい、先生が許可する。」
って言われたとしたら多分動揺すると思うわけ、
「えっ、秩序の象徴のあなたが秩序を壊せっていうこの矛盾をどう受け止めたらよいの?」ってw
そしたら多分、
「カウンターカルチャーの精神に乗っ取り、ガラスを割らずにこの石で先生の石頭をかち割ります」
ってなるわけよ、そこに健全なイノベーション・スピリッツがあればね。
なんで、手放しに「イノベーションを誘発するために、労働者に自由を認める、遊びを認める」ってのは、目的不在の場合は言うに及ばず、反骨のスピリッツが無い限りはダメだと思ったわけ。
なので、本質的には
「ハングリー精神をどうマネジメントするか」ってのとセットで、
まあ、ハングリー精神はそもそもマネジメントできないとすれば、
「カウンターカルチャーのスピリッツにどう火を灯すか」
ってことで、ここには人生史観のルネッサンス、復権が関わってくるから(そういう意味で、紺野先生の「イントレプレナー(企業内起業家)の重要性」は大変重要なファクターなんだけど)、やっぱ、軋轢とか、組織内の壁は一見邪魔なようでいて(これも程度問題だけど笑)、スピリッツに火を灯すには必要不可欠な風防、と思ったわけね。
興奮のあまり途中から口調変わっちゃったけど笑、そういう矛盾を抱えながら営みを重ねる組織や企業の妙って、そこにこそ人生のエスプリがあると思うし(何度も言うけど程度問題ね笑)、イノベーション、ハングリー精神、この相互矛盾をどう内包していくか、いけるか、その流れを読もうとする所作に、次の人の関わり合いのあり方が表出されてくる、と思ったわけですな。
ではまた!
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