学校で学ぶか、路上で学ぶか
- Kosaku Toyoshima
- 2019年7月6日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年11月7日
毎週末、某音大の音楽教室にソルフェージュやりに通っていますが、老舗なこともあり、教育体系も盤石なんですよ。ただ、発表会とかで出てくる生徒を見てると、皆ほぼ一様に「辛いこともあったが、頑張った」というノリが感じられまして、そこだけ受け入れられないのですが笑、まあいち保護者が「あのう、とりあえず楽しくやれれば良いんじゃないんでしょうか?」と言っても、「ウチ、そういうのじゃないんで」と言われて終わりですよね笑。
「辛いこともあったが、それを乗り越えることで成長した」という図式は良く見られますが、何かを学ぶのに、
学校で学ぶか?
路上(ストリート)で学ぶか?
というのは結構難しい話題です。
音大出てなくても大成した音楽家もいますし、音楽に限らずとも、MBAを持ってなくても、商才で大成した起業家なんて例はいくらでもあります。
MBAなくても大成した起業家は、たとえば。ファミリービジネスをやる中で実体験としてしみこんだ経験を元に才能を開花させた、という風に、学校ではなくて現場、つまり路上(ストリート)が学ぶ場であった、ということで、これは、「高学歴でも使えねぇ奴は使えねぇ」と叩き上げの人の言説に良く見られるように思います。
だからと言って、学校に行ってMBAを取る意味が無いというわけではないと思いますが、(自分MBA持ってませんけど)
路上で学ぶ良さ、学校で学ぶ良さはそれぞれ良い所があり、どちらが正しい、という話では無いと思います。(権威主義もどちらにも見られますし)
しかし、最先端の情報が学校と路上のどちらに現れるかはモノによると思います。
たとえば、ヒップホップのカルチャーがアカデミズムから生み出されるとは思えませんし、カーボンナノチューブの新たな合成法が路上から生まれるとも思えません。
やっぱり第三者的に見て面白いのは、学校で学んだ人、路上で学んだ人が同じリングに上がって無差別級のバトルやってるところ(会社経営とか、政治とか)ですけどね笑。
音楽もまた、学校で学んだ人、ストリートで学んだ人が同じリングに上がってますが、音楽の素晴らしいところは、リングの外でイデオロギーの違いでケンカすることはあっても、一旦同じリング(ステージ)に上がってしまえば、よりよい音楽を創り出そうと一体になるところですね。
ではまた!
Comments