昔の女にとらわれる
- Kosaku Toyoshima
- 2019年10月18日
- 読了時間: 3分
先日の投稿、10年前、と似たようなトピックスをこないだガールフレンドと飲みながら話をしてたら、「男って、そうやって昔の思い出に縋って、ほんとバカだよね〜」と一刀両断されまして笑、
恋愛も「女は上書き、男は別名保存」とか言われますけど、そこから「そういえば、考古学研究者ってもっぱら男性な気がするけど、ほら、恐竜とか古生物に興味もつのも男の子が多いじゃん、昔のことを考えるのって男性特有?」みたいな話に発展し、
調べてみたら、サイエンス系の研究者の男女比くらいしか統計ないし、もう完全に感触値でしかないんですが、「過去を考える(とらわれる)のは男性特有」という暴論に至りました笑。
まあ、どこかで聞いたような仮説ですが、男性が過去にとらわれるのは、狩猟民族時代の記憶で、生死の間に陥った際、走馬灯の中から過去の生存体験をたぐり寄せる、という本能から来ていると思われますが、(これ生物学的な脳機能の話で、ゲイの考古学者と話してみたい)オイディプス・コンプレックス的に言えば、祖先の系譜で一番近傍にある父親に対する闘争本能、とも言えるのかもしれませんけどね笑。
なので、「男が昔の女にとらわれんのはしょうがないよ、だって、DNAの囁きだから」という結論なんですが笑、
未来/現在/過去、という尺度で言うと、昔から「理系/文系」の分け方ってしっくり来なかったんですよ。
だって、サイエンスの特権みたいになってる分析的・解析的手法って、社会学でも適用可能じゃないですか。それが、新卒学生の分類になると、「あー君は社会学やってたのか、なら文系だね」みたいに落とし込まれるのが違和感ありありっていうか、例えば化学系の学生のレポートと、社会学系の学生のレポートが同じ方法論でまとめられてるとすれば、それは同じカテゴライズで良いよね?って単純な話です。
なんでアタクシの個人的な尺度としては、学問分野を時間的尺度で分類した方が腑に落ちるんですよ。
ええと、図で描きますと、

仮置で、
現在、つまり今ここにある瞬間、そこに目を凝らすことを現在学と呼ぶとすれば、時間軸上に「未来について考える」「過去(昔)について考える」学問分野がプロットされていきます。

上記、アタマに思い浮かんだものから書きなぐっただけですけど笑、
物理学なんかは、未来予測から始まっているので完全なる未来学、文学は過去のテキストを読み漁ることが起点になることから過去め(新たな文体表現も表出しうる、って意味でちょっと現在よりにプロットしてますが)
法学はまあ、未来をより良くしよう、ってバイブスを加味して未来より、という、これまた感覚値ですけど、こう考えると物理学の学生と社会学の学生って、「未来を考えようとする」点に置いてはディレクションが一致してると思うんですよ。だからこそ論壇の場で相まみえることも多いと思うんですが、
反対に、ガチガチの文学者が物理学者と膝詰めで語り合う、、あまり目にしたこと無い気も。
ワタクシの場合、学生時代は古環境学なんで、まあ温故知新的に知見を未来予測に活かす、、、なんて側面も研究費を取るための口上としてはありますが、時間軸的には完全に過去の話なんで、やっぱり抜き身で話が合うのはロマンチストの方だったりしたんですよね笑。
こうして見ると、哲学はやっぱり、「今ここ」な学問分野なんだと思います。「絶対矛盾的自己同一」とか、何回読んでも全く理解できませんが笑、結局、過去/現在/未来をマッシュアップしたらえらいことになりました、なんて話なんですかね教えて下さい賢い方笑。
まあ、「男が過去のことを考えるなら、なんで有名物理学者に男性が多いのよ?」って話は、また社会構造的な別の要因があると思いますので、そこはまた別の有識者に論を譲るとして、本質的には未来を考えることについては、脳機能的な意味でいう、女性の方が向いているのだと思います。
ではまた!
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