デザイン思考の先の、さらに先の、うーん、もうちょっと先
- Kosaku Toyoshima
- 2019年3月12日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年11月7日
あーだCodaのトートロジー
「デザイン思考の先を行くもの」面白かったです。
昔、週刊金曜日の「買ってはいけない」という書籍に対するカウンターで「『買ってはいけない』は買ってはいけない」という本が出版されたのを見て、
「うわ、このトートロジカルな出版合戦いつまで続くの笑」と、高校生だったワタクシにとって当時、この出版合戦は「不謹慎エンタメ」化してたわけですが、これをふと思い出して「ああデジャブ、と」。
スタンフォードd. schoolの西に対して東のハーバードデザインスクールという、「東西戦争おっ始めんぜ!」的な主張はあんまりないんですが(そうだったら面白かったのにw、ただ「デザイン思考は改善のためのツール」と言及はされてましたが)
話逸れるけど、ハーバードとスタンフォードの成り立ちの違いから、方法論としてのデザイン思考の普及を読み解くとまた面白そうなんだけどなぁ、だって、ハーバードってメイフラワー号で上陸して間もないころに「やっべ、本国(イギリス)の風紀の乱れっぷりが嫌で新大陸来たのに、拠り所になる牧師少ねぇから牧師の学校作んべ」って出来たのがハーバードでしょ、それに対し、スタンフォードは、ネイティブ・アメリカンを蹂躙しまくって西海岸まで来ちゃって、そこに出来た大学なわけで、スタンフォードが担いだデザイン思考に対してハーバードが反旗を翻した、とかいう様相になってきたら超面白い展開なんですけどね。
デザイン思考そのものについてコメントすると、めんどくさい人が沢山寄ってきそうなので差し控えますがw。この本の主張の一つ、
デザイン思考は改善のためのツールで、デザイン思考は「他人中心デザイン」で、ハーバードデザインスクールのは「自己中心デザイン」、つまりデザイン思考は1→10の仮説検証には有益だけれど、0→1の「仮説創造」にはスペキュラティブデザインが必要。
というのはその通りと思っていて、「自分が良かれと思ったものを押し売りして結果それが上手く行ったら社会的な価値があったと認められる」という(根源的欲求に立脚した)アート思考と、ビジネス思考、デザイン思考のジレンマ、みたいなものをやっぱり実感したのでありました。
まあ、アレですね、トートロジカルなものはぐるぐる回って繰り返してるうちは楽しいでが、いつかは、あーだこーだ言うのはやめて、Codaに行かないと、曲終われないんで、単にこのダジャレを言いたいがためのブックレビューでした。
Comentários