ドゥルーズ先生がSNSにお怒りのようです。
- Kosaku Toyoshima
- 2019年1月7日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年11月8日
「話すことは不潔で、書くことは清潔である。」でも先生の時代にTikTokが流行るの想像できました?
年末年始、ドゥルーズのアベセデールを見てたんですが、そこでドゥルーズ先生が言ってた言葉です。(ちなみにDVDは全部で453分あるので、まだ見切れてません笑)



こんなキャプチャ持ち出して語るのって、それこそ昨今の「コンテンツのトリミング」問題にのっかるようでアレですが笑、別に話すのうまい人をディスってるわけじゃないですよ。キャプチャは書くことに対する言及の箇所ですし。
(ちなみに補足すると、このキャプチャの前段で、ドゥルーズは「書くことは孤独だが、何度もやり直し、反省し、少しずつ練り上げる重要な営みだ」という話をしています。)
SNSを通じた自分語りは消費ですが、以前も述べた通り消費と生産の区別は極論つかないので、それ自体を批判する気も無いです。
(そもそも昨今は、自分語りや書くことによる自己表現も通り越して個々人が映像発信する時代ですし)
ではなぜみんな躍起になって自己表現するかっていうと、そりゃ自分を救済するためですよね。
軍事でも民生でも使える技術の用途展開のことを「デュアルユース」って言いますけど、技術革新ってかならず両方向に可能性を広げますんで、SNS使って自分がうまいこと救済されてる人と、自己憐憫に苛まれる人が出てるだけの話なんだと思います。
まあ極論は、自分の中に神様を作り出して救済するしか手立ては無いんだと思います。たとえそれが錯覚でも、自分の中に確固たるヴィジョンがあればそれが神様になりますし、良かれ悪かれ狂信的であるほど、返って他者を魅了したりもするんで。
そしてSNS使うとそれがラクに具現化できて、他人の自己表現と自信の自己表現がカオスに混在し、それが普遍的であると錯覚する中に神様を見出す、それがナウいSNSの使い方なんだと考えています笑。
遍く人に、NUMBOUTDUB EXPERIENCEを、
豊島 考作
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