ナンバーワンになれないならば
- Kosaku Toyoshima
- 2019年3月2日
- 読了時間: 5分
更新日:2019年11月7日
土俵を変えたらナンバーワン笑
一昔前なら「うわこいつ凄ぇなぁ、めちゃくちゃ上手いなぁ」という存在はテレビの向こう側の話で、今ひとつ現実味が無かったようなものでも、今じゃ「こんなニッチなこと極めてる奴はいないでしょ笑」と思いながらyoutubeで検索するとけっこう簡単に凄い人が見つかったりして、こういう情報を毎日浴びてると「自分はなんて何も成し遂げてない人間なんだろう」と思わされることって増えてる気がしますね笑。
先日も、3歳の息子がドラムを叩いたもんで、親バカも相まって「うちの子天才!」となっても、世の中広いですからね、完璧なアフロのリズムを叩く4歳児とか検索すると見つかったりするんで(そういうのを子供に見せて「ほらお前ももっと頑張れよ」とかスパルタな親御さんとかいるんだろうなぁ、、)SNSとネットはスパルタ親の教育熱を加熱させるというか、
「ほら、隣のケンちゃんもう逆上がりできるんだからあんたも頑張んなさいよ」
という、グローバルレベルで「手軽にお隣さんの子供の発達状況を垣間見れる」機会が増えると、子供からすれば「いやそんなに早く進化できないから笑、勘弁してよ笑」なんでしょうけど。
とまあ、子供の発達心理学的な観点からも、世の情報をどう見せていくか、ってのは悩みのタネでもありますが、同時に自分を省みると
「あれ、、最近自分の『これだけは負けねぇ』という仕事に対する技術のパッションなんだっけ?」
ってことにも繋がりまして、息子の成長を横目で見ながらそのあたり図解してみたいと思いますが、

何かに取り組んでまずはじめの快感は「できた!」ですが(3歳児とか、できた!の毎日ですし)

そのうち、「あいつよりできた!」という相対的優位性の獲得へとつながります。(年齢的には5〜6歳くらい?)
「絵を描くことなら負けない!」「誰よりも走るのが早い!」みたいな
ところがいずれライバルが出現します。走ることは誰にも負けないつもりだったけどどうやらあいつの方が早い、、そうなると、「相対的優位性」を獲得するためになにくそと思って奮起します。まあ自然な行動です。

ところが世の中は広いもんで、いくら頑張ってもかなわない相手が出てきます。ナンバーワンは世界チャンピオンしかいないのでまあ当たり前ですね。(そしてその世界チャンピオンも、歴史的に見てもいずれは誰かに負けています。)
壁にぶつかり、ここで何が起こるかというと、
「あそこの野球部はナイター設備あって夜も練習できるし、、勝てるわけないわ」
とか
「あいつが英語上手いのは帰国子女だからや!」
という、自己合理化です。
この自己合理化、精神を健全に保つ効能もある反面、自己合理化ばっかりになっちゃうとヤバいですね。何もやる気起きなくなる、みたいな。
若い内はそれでも奮起して「相対的優位性」を獲得しようとしますが、年齢とともに必ず体力は衰えますからね、何もスポーツに限った話ではなく、ホワイトカラーが仕事を遂行する上で必要になる、情報処理能力とか、動体視力・動体聴力もそうです。

そうやって相対的優位の獲得も限界がくると、悟りの境地に入ります笑。
ありのままの自分を認めて、良さを認めて、自分の特長を活かす方法を考えるフェーズです。
仕事で言うと、営業時代はワタクシ、おそらく100人くらい居た営業の中で、最も高度なエクセルスキルを持っていましたが、企画に異動になって隣の島の経理の人見ると、明らかに自分とはレベルの違う、神の領域な人居ますもん笑。
今でも、複数のファシリテーションライセンスを使ったワークショップの設計・開発はおそらく多分会社の中ではトップレベルと自負していますが(というか、そういうことをやってる人がそもそも居ない)
これも会社の枠を越えて世の中見渡せば、自分から見て神の領域の人は世の中にごまんといるわけで、
要は、「自分の特長を活かすために、土俵を変えるか、今の土俵にない自分の特長を持ち込め」って話ですが、

例えが悪くて恐縮ですが「あの会社ではうだつの上がらなかったAさん、転職してブイブイ活躍してるらしいよ」とかいうのも同じ構造と思います。
重要なのは、
今自分がいる土俵には何が足りないのか、
また、自分の特長が活かせる土俵は他に無いのか?
ということに目を凝らすことだと思うのですよねぇ、、
表面的には、「知識差のアービトラージ」で飯を食うようにも見えますが、本質的には、周りとの関係性で決まる土俵をどう認識するか、って話だと思います。関係性を少し変えて、自分の特長を活かす土俵を作っていく、って意味も含めて。
この、「相対的優位性の獲得」「土俵」「周りとの関係性」で思い出したんですが、
ある双子ちゃんの育成を追跡調査した話で、(確か橘玲氏の書籍だったような、、)双子の片方はエリート音楽一家に里子に出され、もう片方は音楽とは無縁の家庭に、
10数年後にどうなっているかを追跡調査したら、片方は素晴らしい音楽家になってました。では、それはどちらでしょうか?
これが音楽とは無縁の家庭の方に里子に出された子だったらしいんですよね。
この理由は、エリート音楽一家に里子に出された子は、周りの友達もエリート音楽家系の子が多く、結局「音楽をやることが、相対的優位性を獲得することにはつながらなかった」というのが要因だそうです。
反対に、音楽とは無縁の家庭で育った子は、周りの友達に楽器を演奏して聴かせてあげると、「お前楽器できんの?すげぇ!かっこいい!」となって、それが相対的優位性の獲得につながった、とか。
こう見ると、ある分野で突出した才能を発揮した人の二世は、同じ分野で花開くことはあまりない、というのも同じ理由かもしれません。(相対的優位性を獲得するところまで親が介入してガッツリ教育すればそうはならないのかもしれませんが、、)
うーん、こう考えると、子供が周りの友達に自慢したくなるような何かを身に着けさせるのに、親が能動的になるのが返って逆効果になったりもするよなぁ、、と思いながら。
ま、根底にあるのは、それを心から楽しいと思い、壁が立ちはだかっても前のめりで取り組みたくなるような環境づくりが大事、ってことだと思いますけどね!(これは仕事も一緒)
というわけで宣伝です!笑
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