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意識高い系に対する、意識深い系

  • 執筆者の写真: Kosaku Toyoshima
    Kosaku Toyoshima
  • 2019年6月30日
  • 読了時間: 3分

更新日:2019年11月7日

意識高い系を揶揄する言説って、もう一巡してリサイクルの周期に入った感もありますが、先日、この記事(なぜあなたの会社の社長は思いつきで行動しているように見えるのかを読みまして、記事の主張とは全く関係のないところで、「意識高い系の対概念って、『意識深い系』だよなぁ」と思った次第です。


記事の内容自体は、うん、まあその通りというか、組織の舵取りをしようとする場合、視点がよりメタレベルに行くのは致し方なく、ではなぜ、意識高い系という言葉で、「メタレベルの視点をもった、もしくは持とうとする」人が揶揄されるのか?って話ですね。


自分の場合、4年前に、セールスマンという組織の一兵卒から「経営企画」という、単体の組織の中ではメタレベルの視点を要求されるスタッフに異動になった経験がありますが、単なる一兵卒がいきなりメタレベルの視点を持つようになると、まず起こるのは「自分はイケてるエリートビジネスパーソンになったと勘違いする症候群」の発症ですね笑。


この罹患者がはじめに何をするかというと、形態模写よろしく、いわゆる戦略コンサルのような職種の方が作る資料を真似て、複雑な事象を構造化してまとめて、スーパー・ハイコンテクストな二次元のビジュアルを作ることです。


ただそうやって資料を作り上げたところで、自分自身が何か固有の能力を持ち、影響力を持つわけでは無いので、「視点はメタレベル、しかし影響力の行使においてはほぼ無力」というジレンマ、もしくはアイデンティティの二重性に苛まれ、ある種の分裂状態になるわけです。


そうなると、反動で現実感を取り戻そうとする行動に移っていくのですが、

意識高い系が揶揄されるのも、揶揄派閥の言いたいことを乱暴にまとめると、「視点は高いけど、結局君何もなし得てないでしょ?」ということではなかろうか、と思います。


(こう書くと戦略コンサルでビジュアル作成を生業にしている人をバカにしているように見えますが、自分で言うのもナンですが、あれはあれで結構高度な知的労働作業とは思いますよ。ただ、それを専業としてやられている方と、いわゆる「組織のなんでも屋」な経営企画スタッフがそれに取り組むのとでは、気合の入り方が違うってだけかと)


「意識高い系」が揶揄されるとなると、「最も揶揄されない状態とは何か?」という話ですが、高い低いの話でいくと、「意識低い系」は、要はモラルの低さを表すことになるので話が変わってきます。


※まあ、元は「意識の高さ」にはモラリティの高さも内包されてたんでしょうが、揶揄される言説が作られていく中でちょっと話のベクトルが変わっちゃったように思います。


そこで、(揶揄される対称としての)意識高い系の対概念として「意識深い系」を提唱したいわけですが笑、まあ、何かを動かすには、ある種の狂信的なマニアックさというか、対象物へ注がれる愛情によって得られた深い知識が必要だと思います。


ただ一方で、「メタ概念に対する専門的な知識」という領域になってくると、また話が一巡してややこしくなるわけですが笑(組織を経営してない経営学者、みたいな)、要は、「誰に揶揄されようが、バカにされようが、対象物に対して自分が深い愛情を注いでいると信じられるなら、いつかそれが深い知識となる」ってことですかね!


ではまた


#意識高い系の対概念は意識深い系 #自分はイケてるエリートビジネスパーソンになったと勘違いする症候群

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