続・精神分析的組織論
- Kosaku Toyoshima
- 2019年3月14日
- 読了時間: 5分
更新日:2020年3月1日
マーケティング5.0は、顧客の欲望の再配置から始まる!かも?
最近の組織論を精神分析分析の観点からぶった切る無謀な試み、第2弾です笑
前回記事の主張をまとめますと、
「最近の組織論は、精神分析の歴史と系譜を追体験している!」
追体験と言えば、フロイド・ユング・アードラーが創始した精神分析の次になにが起こったかって話ですが、
(はしょり過ぎですけど)歴史的にはレヴィ・ストロースらによる構造主義で、これを現代に置き換えると、ビジネスマンの二次元描画スケッチ能力がこの10年で格段に向上したように、ビジネスの構造的認識が進んだことに投影されているように思います。
ビジネスモデルキャンバスなんかはその最たる例と思いますが、現象と構造をメタ的に見てみよう、という一種のムーヴメントですね。
(調べてないけど、戦略コンサルタントが蓄えた知見・ノウハウを書籍や文書の形で世の中に普及していくのも、この10年でだいぶ進んだ気も、、これは受け手側の「短時間で情報処理する欲求」もあるんでしょうけど、まあ思考法のコモディティ化も加速度的に進むって話ですね!)
その構造に神話的なメタファーを抽出する、つまりビジネス提案なんかでは構造解析だけじゃやっぱりだめで、人の心を動かすにはやはりシナリオ(スクリプト)が必要、ってことなんだと思いますが、これはユング時代への揺り戻し、ってのは、、これはちょっと無茶な解釈ですね。まあいいや。
ともかく、構造主義の後は、ポスト構造主義で、(ドゥルーズなんかはポスト構造主義と言われるのを否定したようですが、まぁ、ドゥルーズの主張は精神分析批判から始まってるので、「単に時系列的に構造主義の後に位置づけんなボケ」って話だろうと思いますが)
仮に今、組織論の文脈が精神分析後期〜構造主義 にあたるとすると、次なにが起こるかっていうと、たぶん「欲望理論」の追体験だと思います。
顧客の欲求を満たす、自分の欲求を満たす(自己実現含む)、社会の欲求を満たす、
今後来るであろう?「組織論の文脈における、欲望理論の追体験」を予見するとですね笑、
欲望の配置の再認識
が進むと思います。(特にマーケティング分野でかなぁ、、)
なんか、現役の哲学研究者から総攻撃喰らいそうな展開になって来ましたが笑
(あーここでデリダとかラカン引用して気の利いた考察でも入れられれば良かったんでしょうけどねぇ、、レヴィ・ストロース以外読んでないもん)
欲望理論の主張の核は
「欲望を、それ自体で欲することはなく、あれやこれやの集合、配置によって欲望が自分の中に流れる。」
と理解してますが、ドゥルーズの言葉を(ちょっと意訳しながら)引用すると、
「私は1人の女性を欲するが、それはその女性の周りの風景や、その女性と時を共にすることで得られるであろう、自分の感情やあれこれと共に欲しているのであって、女性そのものを欲する、ということはない。」
まあ、他の例えで言えば、「車が欲しい」と言っても、それを所有することで得られる他との関係性(その車で六本木に行くと目立てる、とか、女性を迎えに行っても恥ずかしくない、とか)つまり「配置」によって欲望が流れる、ってことで、
考えてみれば、無人島に楽器持って行っても、聴いてくれる人がいないと「楽器を演奏したい!」って欲望は成立しませんし、
あらためて自分や、組織の欲求がどういう配置で流れているのかを、組織論の文脈で再認識するのがこれからブームになるんでは、、
という主張です。
いや、ティール組織がバズって、生命体のメタファーが出てきたときになんとなくこうなる予感はしてたんですが笑、「組織の存在意義」って言われたらこうなるのは自然な流れの気もします。生命体と見た場合、精神分析のメタファーを適用しやすいので。
組織論からはちょっと外れますが、マーケティングも1.0〜4.0とバージョンアップしてきた中で、ある対象に対して一次元的なベクトルで解釈(たとえばマーケティング2.0で言うと、顧客の課題に対して解決策を提示)してきたのが、顧客の欲望の配置の中でその欲望自体を再定義する、というか、
直球勝負で「これであなたの欲求満たせますよ」と言ってたのが、その人の配置も汲ん
「あなたの大切なあの人のアレがコレして、、、」という風になるというか、
ステーキを売るのにシズルを聞かせる、、みたいな今更な話の気もしますけど、いや、だからこそ優れたキャッチコピーって、配置を想起させるって意味でも凄いと思うんですよね。
というか、むしろマーケティングは
「欲望の配置を再提示することで、それまで固執していた欲望から解放される」
という方向になる気もしますが、これは願望含めて。
これは、マーケティングに構造主義がもたらされた、って解釈もできるのかもしれませんが、
まあ自分も仕事柄、様々な人の欲望(とその鏡面体としての悩み)を聞く機会も多いのですが、欲望の配置を捉え直してみると「そもそもなんでそれを欲してたんだっけ?」
となることも結構あるような気がするので。
ということで宣伝です笑
3月16日のイベント、ワタクシの担当パートはただでさえコンテンツ盛り盛りの大盤振る舞い出血大サービスなので、「キャリア開発と欲望理論」なんて話をする余裕は無いんですが(今からコンテンツを白紙に戻して話倒す方向にするのもスリリングで面白そうですが笑)
自分がやりたい、と思い込んでいるその「欲望」
それはどういう配置により流れるものでしょうか。
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