胆力マネジメント
- Kosaku Toyoshima
- 2019年5月15日
- 読了時間: 3分
更新日:2019年11月4日
俳優は階級を超越する!
「胆力」ってなかなか英訳しにくい類の言葉と思いますが、最近とみに、人前で話すときのみならず、胆力あるなしが事の次第を左右しうる、、なんて今に始まった話じゃないですけど。
胆力、身につけられるものならば身につけたし、さりとて相応の経験無しには迫力も身出でず、とはいえ仮初めでも神がかり的な胆力が欲しいときもあります。
(胆力は、「あの人には凄みがあった」とか言われるように、結果として評されるものでもあり、その最中はある種の忘我状態になってる、とも思うんですよ。なんで何かに望むときに「胆力を持とう」なんてのは、言ってみればホームラン宣言するみたいなものなんだと思います。ホームラン宣言して実際にホームラン出たことってあるんでしたっけ?)
経験無しには胆力持ちえず、なんて言うと、「経験してないことには言及する資格なし」みたいな、企業の中にいて「俺は起業したい!」と勇んだは良いものの「起業する辛さがわかるか!?」とマウント取られて「シュン」となることにもなるので笑、処方箋的には「演じる」しか無いと思うのですよね。
マーロン・ブランドの師のステラ・アドラーが、「マーロン・ブランドは偉大な俳優ですか?」と聞かれて
「わかりません、俳優は偉大な役を演じることで偉大になるものですから。」
と答えたそうで、まあ、社長のフリしてたらいつの間にか社長になった、みたいな笑、
ペルソナとは良く言ったもんですな!(仮面夫婦、ってもはや死語ですけど、仮面をつけてお互いHappyなら一周回ってそれで良いんじゃない?という気も笑)
何が言いたいかというと、自身の経験から胆力が滲み出ないとすれば、そりゃもう、なりきって、演じて、型にハマりまくって、自分では無い何かを憑依させて、俳優になるしか無いってことですね。
ということで、演劇に興味無い人もある人も、日々の生活で「演じる」うちに、自分が何かを演じてるのか、何かを演じているのが自分なのか、その境界が極めて曖昧になった中から、死線をくぐり抜けたかのような表情で相手に一言「俺はこう思う」と言えば万事解決!かもしれないですよ。
話の流れと全然関係ないけど、ステラ・アドラーのこの本はガテン気質満載で人によっては食傷するかもしれないけど、これでもか!というくらいのパンチラインを味わいたい人にはおすすめです。
あ、ちなみに今日吉田正則さんから聞いたんですが、PDCAって和製英語に近いらしくて、その根拠に「Plan, Do, Check, Action」と、最後だけ名詞でしょ。本来なら、Actで揃えるべきところが名詞になっちゃった、ちなみにステラ・アドラーにとって、「演技とはアクション=行動」だそうで、違うものを取り入れて役を演じるうちに自分が変容していく、そんなメタファーすら感じ取ってしまいたくなりますな。
ではまた!
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